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今回は音無の成仏肯定の考えについて私の意見を述べてみたいと思う。私が見たところ視聴者の意見がこれほど賛否両論に別れた問題もないと思うので。
そのためにはまず、SSSメンバーや音無がPCが"消えること(成仏すること)”をどう捉えたかをを考えてみたい。その後に、私なりのこの問題の結論を述べたい。
1話のSSSの"消える"の捉え方
1話の校長室での会話から、彼らの"消える"ことをどう捉えてたかが分かる。音無が「この世界からとっとと消えるんだ」と発言すると、高松・五段・藤巻が天使に"消され"たら、ミジンコ、フジツボ、フナムシ等の他の生物へと転生するぞと脅している。ゆりも「仏教では人に生まれ変われるとは限らないと考えられているわ」と付け加えている。ただ、ゆりは大事なこととして、「天使に抗いさえすれば、存在続けられる」ことを音無に力説している。つまり、この時点でのSSSにとって”消える”とは敵である天使(神に近い存在)の思惑によって消され、その後は人間以外の生き物も含め、何かに転生させられるイメージを持っているようである。ただし、理不尽な人生を強いた神に抗うことを目的とするSSSにとってはこうなることは絶対に避けねばならいことなのである。
TrackZEROでの"消える"の扱い
実はTrack ZERO
に成仏に関してのゆりの考えの記述があるのである。それは1話の中で、ゆりがやってきたばかりの日向に対して、こう言っている。「ここは死後の世界で、あたしたちはここで最後に心の整理をして、成仏し、生まれ変わる。そんな都合のいい世界が現われると思う?誰のさじ加減なのよって話よ」。それに対して日向は「神様のさじ加減ってわけか……」と述べている。この「成仏し、生まれ変わる」は人間への転生と考えていいだろう。仏教の話をしているわけでも、冗談を言っているわけでもないので、そのまま捉えていいと思う。少なくとも、ゆりは人間への転生があることは確信しているのである。どうして、そう確信したかは謎であるのだが。ただ、この考えが後のSSSメンバーへ伝わっていったであろうから、SSSメンバーは神またはそれに近い存在と思われる天使に"消され"れば、強制的に別の人間へ生まれ変わらせられると考えるようになったのだろう。となると、本編1話での他の生物に生まれ変わる云々は"消えたい"などと抜かす音無への脅しと取った方がいいだろう。
音無の"消える"の捉え方
音無はどう考えたのだろうか。1話では音無は野田に100HITを食らった後「そうだ、消されればいいんだ。消されればこの世界からおさらばできる」と言っている。100HIT後の精神的ダメージが大きかったとは言え、消されることを望むということは消されても今より悪い状況にならないと考えたのであろう。ただし、その後の校長室で、上記のようにおどされ、「来世があったとして、人間じゃないかもしれないなんて冗談だろ」と述べていることから、"消された"後の状況を結構気楽に考えていた節がある。
その後9話で、彼は自分の生前を思い出し、報われた思いをして死んでいたことを思い出す。そして、かなでとSSSメンバーについての話になり
「あいつらも俺みたいに報われた気持ちになってさ、みんなで、この世界から去れればいいなって、また新しい人生も悪くないってさ」
と語っているのである。つまり、彼はこの時点ではあの世界から”消えれ"ば人間に転生すると思っていることが分かるのである。1話でミジンコ等に生まれ変わる可能性があることを聞いて、驚いていた彼がどうしてこう変わったのか。この描写がないのである。推測すれば、SSSメンバー(ゆりか日向かの可能性が高いと思われる)から天使に"消され"れば別の人間に生まれ変わることを聞いていたということだろう。
とにかく、ここで彼の考えはあの世界に居残り続けるというSSSの考えから離れることになる。彼にしてみれば、あの世界に残ることは死んだあと動き出せないでいる状態、つまり一種の停滞状況となる。"消える"ことは新たなる旅立ちを意味しているのである。そして、旅立つ先が転生後の新しい人生である。
本編のみの視聴者側から見た疑問点
ここで、本編のみの視聴者からの疑問点を考えてみたいと思う。視聴者はTrackZEROを読んでいない人も多かったであろう。なので、読んでいない視聴者にはゆりの考えが十分に伝わっていないのである。また、音無に"消える"ことは人間への転生であると伝えた描写がないことも影響してくる。これが無いので、1話で人間以外に転生する可能性を聞かされて驚いていた音無が、人間への転生を確信しているのか分からなくなる。
では本編だけ見た視聴者は音無の行動はどう映るのだろうか?その前に本編のみ視聴者から見た場合、あの世界のPCはどういう存在に見えるのかまとめてみたいと思う。そのほうが、後の議論がしやすくなるので。
本編のみ視聴者から見たあの世界のPCはどういう存在?
彼らPCの特徴は
- 生きていた頃と同じ肉体を持っている。
- あの世界では死なない。年を取らない。
- 死後、自分の意志ではなく、なぜかあの世界に飛ばされる。且つ世界の外には出られない。
- 死ぬ前の記憶を受け継ぐことができる。そして自分が死んだことも分かる。(記憶喪失で来ることもあるが思い出せる)
- 本人が報われると”消える”
の5つである。
これを見ると、1~4までは状況的には、死ぬと現世から隔離され、あの世界に無理矢理連れてこられ、不老不死の体にされるように見える。つまり、異世界に行き新たな"現世と同じ記憶と肉体をもつ不老不死の生"を得たと見えないこともないのである。
5の"消える"ことはどう映るだろうか?本編のみで考えるので、文字通り存在が消え、且つ消えた後どうなるかわからないこととなる。このような状況はイメージ的に"あの世界での死"と見えるだろう。
本編のみ視聴者には音無の行動はどう映るのだろうか?
本編だけ見た視聴者は、9話の時点では”消える”ことは人間への生まれ変わりであるというゆりの確信を知らない。9話でいきなりの音無の「新しい人生も……」の台詞を聞くことになる。これでは、考えようによっては音無の「成仏後に人間に転生する」という勝手な思い込みで、他のメンバーを"消して"("あの世界での死"に追いやった)と解釈してしまう視聴者が出てもおかしくないであろう。
結論として
音無の成仏肯定が賛否両論を生んだのは、9話までの本編に次の2つが描写されていないいことが原因である。
- TrackZEROで書かれた、あの世界が「心の整理をして、成仏し、生まれ変わる」場所であるというゆりの確信
- 1が音無へ伝わった描写がないこと
これが無かったため、音無が自分の勝手な思い込みだけで、仲間を消していった様に見え、それが成仏否定論に繋がったのではないだろうか。この2つが描かれていれば、成仏に関する音無に対する批判は大きくなることはなかったのではないだろうか。
その後の展開から分かること
この問題の結論は上記に述べたので終わってもいいのだが、実は10話以降で本編でも、"消える"=人間への転生が語られ始める。どうしてそれが分かるかというと、登場人物たちが"消え"たら人間に転生することが前提の台詞を言い始めるのである。以下にそれを書き出してみる。
- 10話で日向がユイを成仏させる。このとき、彼は例の「60億分の1の確率でも……」の発言を言う。これは人間に転生することを前提にしないと出てこない台詞である。
- 11話でゆりから危機回避の選択の一つとはいえ、「戦線を新たなる道に導くもの」として、音無に自分の考えをみんなに堂々と伝えるように言われる。その後、ゆりは焼却炉の前で音無に対して、「戻ってきた時、みんなが消えて無事この世界から去っていったら、あなたのお陰だと思っておくわ」や「一人で待ってちゃ影にやられちゃうわ。去りなさいこの世界から」などと台詞を言っている。これはゆりが音無に「自分以外を成仏させておいてよ」と言っているに等しい。TrackZEROから、ゆりの認識ではこれは人への転生と考えて良い。
- 12話冒頭でガルデモ+モブキャラが成仏するとき、ひさ子が「次もバンドやるよ」と言っている。これも人間じゃなきゃできないことだ。
- 12話でゆりが影の中に取り込まれた時の台詞「ここから消えたらやり直せますかね。……でも、だったら生まれ変わるって何、それはもう私の人生じゃない。別の誰かの人生よ」も、人間に転生前提である。
- 12話でAPプログラマが彼女を待ったのも人間に転生が前提である。そうでなければあの世界に彼女が戻ってくることが不可能になってしまう。
- 13話でゆりが成仏のとき「また何処かで」、と言う。日向が成仏のとき、音無からユイのこと言われて「運は残しまくっているはずだからな」と言う。これも人間に転生しないと無理だ。
- そして、13話Cパート。これは転生後なのかはぼかしているが、もし転生後なら人間に転生している。
これらの意味するところは9話の音無の発言で、今までぼかされていた”消える”=人間への転生が解禁になったということだろう。 このことは転生に関して麻枝氏がどういうふうに物語を作りたかったかを考えるヒントになる。次の考察でそれをやってみたいと思う。